最近になって、特に昔の事が思い出されるようになった。
以前にも、時々、若い頃のことを思い出して、懐かしいなあと感じることがあったが、これが頻繁に思い出されるようになったのは、やはり歳を取ったせいなのかもしれない。
こういうのを、走馬灯の如く思い出すと言うのだろうか?
ちょっと調べてみると、、、
人は「死が迫っている」状況や「死を覚悟」したときなどに、「走馬灯がよぎる」という体験をする場合があります。
とか、
「走馬灯」は、夏の季語、特にお盆を表す言葉として使われる場合が多い言葉になります。
と言うように書かれている。
お盆の時期に、昔のことを思い出すのは普通のことだと思うけれど、私の場合、実家の庭の草取りを頻繁にしていて、その度に、その家で生活していた頃の懐かしいエピソードが蘇ってくる。
まさか、もうすぐ私が死んでしまう身体だからと言う訳でもないだろう。
ある程度の持病は抱えているけれど、生活に支障が出るほどのこともなく、普通に暮らしている。
高校卒業までの18年間しか、実家では生活してないけれど、遠く離れた大学に通っていた頃もそうだが、就職するまでは、拠点は実家にあった。
だから、特に大学生くらいまでのエピソードがよく思い出されて、20代後半以降のことを思い出すことはあまりない。
それもそのはず、庭の草取りをしていて、あるいは、実家の各部屋の掃除をしていて、目に付いたものに関連して、実家で暮らしていた頃の生活が思い出されるのだ。
もちろん、お墓掃除をしているときにも、昔のことが懐かしく思い出される。
とにかく、無心に作業を行っているので、難しいことは考えることもなく、自然と昔話になってくるのである。
こうして何度も同じ事を思い出していると、少しずつではあるが、詳しい内容、あるいは新しく付随した情報に膨らんできて、これも脳の活性化に繋がっているのではないかと思っている。
だから、思い出したときに、「あの時は、何故あんなことになったんだろう」とか「アレは、きっと○○が~~したからだったに違いない」とか考えるようにしている。
せっかく思い出したエピソードがたくさんあるので、今日から、テーマを「走馬灯の如く」として、新たに設けて、昔のエピソードを書いてみたいと思う。
これまで、このブログでは、今日の出来事を中心にing(現在進行形)を書いてきたけれど、そう言うのもありかなと思っている。
ただし、単なる思い出話ではなく、できる限り珍しい、面白いエピソードが書けたら良いなと思うが、それは読んでくださった方の判断にお任せするしかない。